脳脊髄液減少(漏出)症と“ほどほどに”
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脳脊髄液減少症とは?

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ABOUT feese

重光喬之

feese運営責任者 重光喬之

一般社団法人プラス・ハンディキャップ

はじめまして、20代半ばに脳脊髄液減少症と診断されました。この病気は、症状が目に見えないため身体的負担に留まらず、家族や友人、職場での理解が得られづらく、精神的・社会的にも追い込まれるケースが多く、私自身この10年公私に渡り、葛藤し、もがきながら生きてきました。

3年前から当事者ライターとして記事を書いていると、同病者やご家族からのメッセージや問合せ、SNS上での交流など、多くの方とやりとりをしてきました。その中には、症状緩和の具体的な方法や生きるために必要な貴重な情報、時には私に意欲を与えてくれる応援もありました。一方で、音信不通になってしまった同病者や自死された方もいます。これらの出会いと別れは、当事者同士がゆるやかにつながる機会の必要性を、私に気づかせてくれました。

これから立ち上げるのは、脳脊髄液減少症と向き合う人たちが持つ、個々の情報・実体験を共有し、各々が前を向くきっかけとなり得るWebサービスです。まずは、皆さまからの情報を集め、当事者のニーズを確認した後、現在のプレサイトを本サービスへと展開し、STEP-1、2、3へと進め、”治療後から社会復帰の狭間を埋める゛仕組みを作ります。

for feese

脳神経外科教授 篠永正道

国際医療福祉大学熱海病院

脳脊髄液減少症はとても奥深い病気です。脳脊髄液が漏れて脳脊髄液が減少するために様々な症状が出現すると考えられています。ブラッドパッチ治療はとても有効な治療法で、治療後すぐ良くなる方もおられますが、なかなか良くならない方も少なくありません。慢性化した場合は長期の治療・療養が必要になります。よくならないのは理由があり、なかなか漏れがとまらないとか、漏れは止まっても脳脊髄液が症状を改善するまでに増えないとか、脳脊髄液は増えたが脳の機能が改善しないとかが考えられます。

この病気に関してはまだわからないことが沢山あります。私も患者さんから多くのことを学ばせていただいています。患者さん同士で経験を分かち合うことが症状改善に役立つと思います。また、精神的な悩み、経済的な悩み、家庭生活、仕事等の問題や悩みを共有する場があればよいのにと常日頃考えていました。

ネットは使い方次第でプラスの面とマイナスの面がありますが、うまく利用すれば多くの患者さんが救われると思います。このwebサイトが活用されることを願っています。

ABOUT service

現在わたしたちが準備しているWebサービスについて、簡単にご紹介します。

  • 1
  • 症状緩和の工夫

    症状を和らげるための方法や薬との付き合い方などを、データベース化して似た状況状態の他者情報を参考にできるようにします。

たとえば...
  • ・激しい疼痛のときに首へホットタオルを当てて横になる
  • ・携帯電気マッサージ機を持ち歩き、痛みを誤魔化す
  • ・常に保水心掛けなるべく無理せず過ごす
  • ・高濃度プラセンタ
  • ・転地療法で、温暖な気候でゆっくり過ごし、対人ストレスも減らす
  • ・食事・睡眠・仕事などを調整し、心身ともにストレスを減らす工夫をする
  • ・医療用麻薬を処方してもらう
  • 2
  • 生活の知恵

    稼ぎ方・働き方、家族や友人・職場への伝え方、生活のことなどを症状緩和の工夫同様データベース化します。

たとえば...
  • ・在宅での仕事、業務委託、フリーランスの実情など
  • ・起業による生活費削減(PC・スマホ購入費、家賃・光熱費・通信費等)しながら、休みたいときに休む
  • ・症状ですぐ休む、止めるけど憎めないキャラクター作りで生き易く
  • ・我慢せず辛い時は、具体的に辛い内容を伝える
  • ・気圧アプリで仕事や予定を調整し、なるべく負荷を減らした生活をする
  • ・副次的に精神障害が発症した場合は、障害者手帳を申請する
  • ・医師の紹介状があればマッサージも保険適用(可能性は低い)
  • ・自立支援法を利用し医療費を1割負担へ減額(精神科系の医療費のみ対象、問合せ先は各自治体の保健センター)
  • ・公的融資制度の利用(総合支援資金、福祉資金、教育支援資金、動産担保型生活資金…)
  • 3
  • 当事者エピソード

    他の当事者がこの病気にどのように向き合ってきたのか、向き合っているのかをエピソードとして紹介します。

30代男性・独身・弟と共同生活 交通事故で発症 治療歴13年

激痛のため、薬を飲み、ただただ横になっている日々。ストレスによって自我が崩壊しそうなときは、1分程歩けば着く土手で花や草、変わらない景色を見て、自分の存在のささやかさを平等性に映しこんで耐えしのいでいました。

友人とも疎遠になり、同郷では死亡説まで出ていたと聞きます。人との関わりはほぼネット。同病者の方ともネットを介して交流するのみでした。人と会わないことは孤独ではありますが、心の助けとなりました。時として情報は毒にもなり得ます。不幸な話ばかり交わすようになってしまうと心も苦しくなってしまうのです。家族にもなるべく病気の話はせず、巻き込まないかわりに関係性は良好でした。

まだ治療途中ですが、幸いな事に、闘病前に取得した免許にて医療系のアルバイトをしています。なんとか生活できる賃金のため、このまま治療しながら働くつもりですが、寝たきりのときは貯金や両親の支援がなければ生きることはできませんでした。

結婚は完全に諦めていましたし、生々しい話ですが、性欲もありませんでした。ただ普通の家庭には憧れていたことは事実で、今はささやかながらもそんな生活を目指してみたいなと思っています。

治療歴:BP3回
服用中:ランドセンと漢方薬服用中

30代女性・独身・一人暮らし 突発性で発症 治療歴13年

脳脊髄液減少症と診断を受けるまで10年。そして、そこから3年の闘病生活。病状に起因する「痛み」そのものが人間を変えるのではなく、訪れる痛みの種類が人格を変えていくことを痛感しながら、病状によって生まれる「痛み」以外の様々な出来事を「楽しむ」ことに専念している日々です。

人と自分を比較しない。同年代よりも人の痛みが分かる。そんな年齢の取り方ができていると達観できるようになりました。心を「無」にして、自分の身に降りかかる事の全てを自分にとって必要なことなのだと言い聞かせてきたため、だんだんと他者の言葉にも動じなくなってきました。別の世界から傍観する術を覚えたのかもしれません。

私は、家族の理解が得られなかったため、月10万円、家賃6万円の中で一人暮らしをしています。ぜいたくはできませんが、体力の回復にしたがって、一般企業で派遣社員として働くようになりました。休んでいた期間を思い「浦島太郎」のような気持ちで臨んでいます。

最近、体の痛みが減ってきた一方で、心の痛みに敏感になってきました。職場では周りの目も久々に気になるようになってきました。突然襲ってくる鬱症状が病気の治りがけの故のことなのか、職場環境によるものなのか。そして、そんな自分をどこまで許したらいいのか。症状の改善の先には、また違う難しさが存在していました。

私自身、気が付いたときには友達も減っていましたが、それよりも誰と接しても気持ちが通わない自分に戸惑っています。分かり合える人はいらないけれど、少しは分かり合える人が欲しい。一人では生きていけないことを嫌という程に痛感しているので、やはり人生の伴侶が欲しい。今はそんな気持ちです。

治療歴:BP0回、食塩水点滴半年、高濃度プラセンタ月2度2年
服用中:デパス、ロキソニン

30代男性・独身・一人暮らし 突発性で発症 治療歴10年

ずっと苦しんできた痛み。他人に説明するときには、親知らずを抜いた後の痛みが複数個所で24時間365日際限なく続いているという表現を使っています。感覚的に少し伝わるかなあという印象。自分には「分かってほしい」という気持ちが少なからず残っています。

楽しい話をしていても、美味しいものを食べていても、「楽しい」「美味しい」の前にまず「痛い」がくる。誰かといても痛みで頭の中がいっぱいでなかなか一緒に楽しめず、みんなと笑っている時間もどこか遠い出来事のようでした。痛みのストレスで円形脱毛症にもなりました。

「できないと思われたくない」「サボり・怠けだと思われたくない」と他人に自分の弱いところを見せないように常に気を張っていました。痛みで心ここにあらずであっても、いつも「痛くない自分」を演じていました。薬が効かない、期待していた治療がうまくいかない。そんな背景もあって演技が破綻したのが一昨年でした。

仕事のプレッシャーと痛みによるストレスから気力の限界を迎え、半ば鬱状態になったとき、何でも自分でやろうとすることを諦めました。人に頼ること、完璧を求めすぎないこと、自分のペースで生きることを覚えました。仕事仲間に「痛みに耐えられないから、仕事を辞めるか迷っている」と本音を打ち明けたとき、「いいんじゃないの?」と言ってくれたことが一番嬉しかったかもしれません。

この病気の完璧な治療法は見つかっていないので、今後自分の症状がどうなるかは分からない。であれば、治らないという前提で今やりたいことや小さな目標を持ちながら生きることができれば、少しは気が楽になるのかなと思っています。

治療歴:BP3回
服用中:デュロテップ、ランドセン

40代女性・夫と子供 交通事故で発症 治療歴1年

原付バイクを運転中、前を走っていた自転車がよろけ、衝突を回避しようとし、用水路にそのまま転落しました。腰の圧迫骨折ととともに、肩甲骨から腰にかけての広い範囲で髄液漏れが発覚。治療歴は1年です。

「脳脊髄液漏出症による体幹障害」という身体障害者手帳第一種3級と、「高次脳機能障害による著しい記憶障害」で、精神障害手帳3級の2種類の障害者手帳を取得しました。ブラッドパッチ治療の際に歩行障害が出て、現在は筋緊張障害があります。痛みには医療用麻薬、うつ状態には抗うつ剤、精神的に辛いときにはお酒。破滅的だなと自覚しながらも、それらを切り離すことはなかなか難しいなと感じています。

結婚して、子育て中に起きた事故だったので、子どもたちにも症状や緊急時の説明をし、症状の理解や対策を教えています。ただ、家族との関係性、特にパートナーとの関係はなかなか難しいなと思います。私の場合、けいれん発作が起こるのですが、先日も夫と父から責められ泣きじゃくったあげく、発作で緊急入院。家族との間にいつも緊張感が走っているような感覚です。

そんな私の心の置きどころは、17年ほど同じような症状と向き合ってきた友人の存在。本当に偶然のことで、友達がいたからこそ早期発見できたとも思います。私が通っている道を、すでに通っている。壊れそうな自分、知らない治療方法、サプリメントや食べ物の活用、生活で気をつける点、たくさんの知恵を授かりました。はっきり言えば、家族よりもそのお友達としか分かり合えないことはたくさんあります。

私が救われたのは、同症状の方だからこそわかってもらえること。そして、否定をされないことでした。寄り添い合える、肯定してもらえることが、今の私には必要なのです。治療に関する情報の共有も大事ですが、感情が共有できることが大切な気がします。

治療歴:BP3回
服用中:現在デュロテップ(医療麻薬)4.2mg、抗鬱剤レクサプロ、デパス、睡眠薬ベルソムラ等、週一回ブロック注射(ポプスカイン)を首に注射
社会制度利用:障害手帳取得
その他:社会復帰と車の運転は障害の為困難

40代女性・夫と子供 交通事故 診断まで1年・診断後闘病2年

交通事故で負った脳脊髄液減少症。診断まで1年、その後の闘病2年。やっと職場復帰するところまできました。ただ、以前と同じようにいくことはなく、仕事で体力のほとんどを使い果たし、家のことはなかなかできません。家では体力の温存と睡眠時間の確保が優先順位の上位を占めています。

主人が病気のことを理解してくれ「やれることは俺がやる!」と言ってくれるのが心強く、一番の味方だなと思います。私にとって、主人が理解してくれたことはものすごく大きかったです。

最近は熊本地震の影響で、主人も残業が多くなりました。私自身、家に帰ると疲労困憊なので、子どもの保育園のお迎えや晩ごはんの準備を主人に手伝ってもらえない分、親に頼みたいのですが、いつもいつも頼めるわけでもありません。私が少し元気になれば、父と衝突することもあるので、頼みづらいなというところもあります。自分の周囲すべてが理解者である訳ではありません。

治療歴:BP1回、ラクテック点滴随時
服用中:トロキシン、カリジノゲナーゼ、ユベラ、エチゾラム、レキソタン、フルトラゼパム、ジプレキサ、抑肝散加陳皮半夏

40代女性・夫・子供 原因不明(交通事故3回、校内暴力) 診断まで最初の交通事故30年前・診断後3カ月

2015年10月、追突事故に遭い、その後の治療で脳脊髄液減少症であることがわかりました。

私の場合、30年近くも原因不明の痛みや次々に増える体の不具合に悩んできたので、その原因が判明したことが何よりうれしいと思いました。病気の原因すべてを脳脊髄液減少症のせいにしてはいけないと思いますが、どんなに痛い・辛いとドクターに訴えてもX線で特に異常がない場合、「気にしすぎ」 の一言で片付けられてしまうのは、どうしても納得がいきませんでした。

昨秋、軽い追突事故に遭い、その1か月後に死の恐怖を感じるほど容体が悪くなった時、たまたま紹介された病院で脳脊髄液減少症と診断されたことは、表現を選ばずに言えば、「ラッキーだった」としか言いようがないのです。 現在は相手の保険で通院・治療させていただいております。 保険会社さんには、私の既往症も事故歴もすべてお話ししたうえでの対応なので、 これまた、良い保険会社&担当者さんとめぐりあえたと思っています。

最近はリハビリがてら始めた水泳にハマっています。プールでの全身にかかる水圧は、頭の中の髄圧もコントロールしてくれるそうです。 その証拠に、ふらつきや頭痛・首や肩の痛みが、プールに入ると不思議なくらい治まります。 さらに痛みや精神的なストレスが、泳いでいるうちに“水に流していく”ことができるのです。この出会いもラッキーそのもの。

痛みがあると辛くて苦しいことばかりに目が行きがちですが、気持ちのイイことを見つけられたことは、私にとって本当にステキなことでした。同じ症状で苦しむみなさんも、自分に合った「気持ちイイ」が見つかるといいですね。私はラッキーでした。

治療歴:漏れの箇所が特定できず調子の悪い時に点滴、鎮痛剤
服用中:カロナール、ロキソニン、フィジオ500ml×2(点滴)

20代女性・独身・両親と実家 体育の授業で発症 治療歴13年

脳脊髄液減少症と付き合って13年になります。原因は、おそらく小学校の体育の授業で倒立をした時に、補助の生徒が受け止めてくれず、背中から落ちたことだと思われます。診断までは3年かかりました。

2度のブラッドパッチ治療のおかげで、同病の方の中では症状が良くなっている方だと思います。ここまで良くなったから頑張らなきゃいけないと思う気持ちと、健康な人のようにできない悔しさ、もどかしさが心のなかでせめぎ合います。

大学まではどうにか進学して卒業しました。仕事には就けていません。今年28歳になりますが、周りは結婚や出産をしています。こんな私を受け入れてくれる人と寄り添って生きていけたら幸せだな、とは夢見ますが、病気で働けない私には手に入らない未来です。夫婦は互いに支え合う存在だと思いますが、病気を抱えていると、収入面でも精神面でも相手に多く支えてもらうことになってしまいます。自分が人として、女性として魅力的に見えるのか不安しかありません。

学生時代の友人たちは病気を理解してくれているので、友人関係が続けられています。感謝しかありません。体調次第で予定をキャンセルしたり、迷惑を掛けることが多いので、これから新しい人間関係を築くのは難しいかなと思っています。ただ、友人と会えるのは元気なときだけ。その時は「元気になって良かったね」と言われますが、それは私の一部分でしかありません。

周りには同病者の方がいないので、気持ちを共有できず、心に閉まっていたのが悪かったのかもしれません。頭では分かっていても、死にたくて仕方がなくなります。ですが、家族に散々迷惑を掛けてきているので、自殺だけはしてはいけないと言い聞かせています。自殺をしない選択をすることが唯一できる親孝行と思っています。

この病気さえなければと何度思ったことか。私はなぜ生きているのでしょう。最近はこればかり考えてしまいます。皆さん一緒に幸せになりたいですね。

治療歴:BP2回

20代女性・独身 一人暮らし 原因不明 診断まで3年 診断後闘病1年未満

高校3年生の受験期に発症し、効果的な治療を受けられない中、なんとか勉強をして大学に入りました。現在は、欠席や休学を挟みながら大学に在籍しています。早く回復して、まずは普通に大学に通えるようになりたいです。

体や心が本当に辛い時は、誰にも助けを求められず、自分を追い詰めてしまうことを繰り返してきました。一人暮らしなので電車に乗ることもできず、病院に行けないこともあります。それでも、何とか誰かに連絡を取って助けを求めたり、体力を振り絞って片道4時間かかる実家に帰って休養したりして日々の生活を保っています。

現在付き合って1年になる彼氏がいます。体調が悪い時には看病に来てくれるなど、日頃から私を支えてくれ、何より好きな人と一緒にいられる喜びを感じています。しかし、やはり病気のせいで二人の間に困難が生じることもあります。「病気にならないと絶対にわからない」という思いや、病気によるストレスや不安から彼に八つ当たりをしてしまうことも。そんな時は、いつも自己嫌悪に陥ります。

まだ若くて仕事も一生懸命で友達が多い彼の人生の大切な時間を、病気がちで悲観的になりやすい私との付き合いに使ってしまっていいのか。別れた方がいいのでは、と彼に伝えたこともあります。衝突を何度も経験し、そのたびに多くのジレンマを二人で乗り越えてきました。今でも不安がまったくないわけではありませんが、今ある喜びや楽しみ、生きがいを自ら手離さず、それらの有り難みを伝えながら前を向いて生きていきたいと思っています。

母が脳脊髄液減少症を積極的に調べてサポートをしてくれたり、姉が治療に付き添ってくれたりと家族の理解があるので、実家に帰ったときも、病気で何もできない後ろめたさを感じずに過ごせます。家族として、これ以上ないくらい普通に接してくれるのがとてもありがたいです。

大学や地元の友人など、親しい人には「こういう状態なんだよ」と、病気のことをやんわり伝えるようにしています。学業や仕事の場面では、やる気はあるけど体がついてこないことを、具体的な症状を交えながら説明するようにしていますが、病状を伝えることの難しさを、プライベートとはまた違った形で実感しています。

この病気は目に見えない症状が多く、周囲に理解をしてもらうことがどうしても難しいです。それでも少しずつ自分から発信していくことで、道が開かれるのではないかと信じています。

治療歴:BP1回
服用中:サインバルタ、トリプタノール

40代女性・家族と同居 交通事故で発症 治療歴10年

車の運転中、信号待ちで止まっていたら、後ろからノーブレーキで追突されて発症しました。最初は近所の整形外科に通院していましたが、3か月経っても良くなりませんでした。友人の友人が脳脊髄液減少症だったため、運良くアドバイスをいただき、専門医に紹介状を書いてもらい、診断されました。

痛みのあまり5年間寝たきりで、親の車かタクシーの後部座席で横になって通院し、鍼灸整骨院ではマッサージと鍼治療を受けていました。BPは5回(毎回 首、腰、2ヶ所)受けました。

5回目のBPから一時的に体調が上向きになったので、まずは近所のジムで体力をつけてから、仕事に就くことにしました。いきなり働くのは不安があったので、登録制の日雇い派遣会社で体調の良い時だけお仕事をして、働くことに自信をつけるようにしました。

自信がついたら、派遣でコールセンターの仕事に就きました。瞬時の判断が大切で、間違いは許されない業務でしたので、手元に自作のマニュアルやノートを置き、パソコンの周りは付箋だらけでした。業務にも慣れた頃、扶養内からフルタイムに切り替えて勤務したのですが、案の定、頭痛や首から背中・腰の痛みなどが悪化。体調を崩し、1年ほど勤務して退職となりました。

しばらく自宅で静養してから、またフルタイムの仕事に就きました。今度もコールセンターの新規立ち上げの仕事で、非常にやり甲斐があったのですが、新人の研修担当になるなど、責任が重い業務でした。1年半程でやはり体調が悪化し、1カ月休職しましたが、頭も身体もついて来ず、退職を余儀なくされました。 少し休憩したらまた働こうと思っていましたが、体調が思わしくなく、気付けば3年間無職で現在に至ります。

5年間寝たきりの間はひどい抑うつ状態で、毎日大量の睡眠薬を飲んでも、痛みでせいぜい3〜4時間しか眠れない日々でした。もちろん、「死」は常に私の脳裏にありました。幸い私は友人関係に恵まれていたので、自宅までお見舞いに来てもらったり、電話で辛い気持ちを伝えたりして、なんとか自分を保とうとしました。

父は病名が分かるまで、ムチウチなのに大げさだと言っていましたが、診断されてからは、家族も病気を受け入れて私の体調優先の生活をしてくれました。夜中に希死念慮に襲われたときには、泣きながら母を起こして話を聞いてもらうなど、特に母には感謝しています。

事故に遭う前からお付き合いしていた人とは、脳脊髄液減少症になっていなければ、恐らく結婚していましたが、体調が良くなって働き出してから、色々あってお別れしてしまいました。その後もお付き合いした人はいましたが、やはり私の体調が原因で、結婚には至りませんでした。

子供が大好きなので、出産をしない人生なんて想像もしていませんでしたが、30代前半という結婚・出産を一番考える時期に発症したせいで、悲しいことに諦めざるを得ない年齢が近づいています。

今は体調と物忘れが激しい脳を何とかして、また短時間勤務の仕事から始めたいと考えています。

治療歴:BP5回、食塩水点滴5年、鍼とマッサージ治療
服用中:ロキソニン、ムコスタ、レクサプロ、リフレックス、セロクエル、ユーロジン、マイスリー

30代女性・夫 落下事故で発症 診断まで11カ月・治療歴6年

診断まで11ヶ月、診断後の闘病は6年になります。闘病中は激しい苦痛に耐えることに精一杯で、前向きなことは一切考えられませんでしたが、カウンセリングを利用して「遠慮なく嘆く」ことをしていました。つらさを言語化したり文章化したりすることで、気持ちが楽になる気がしました。

初回のBP後に、寝たきりでない生活が出来るようになり、失った人生(仕事と人付き合い)を立て直すべく、持っていた資格を活かして少しずつフリーで仕事を始めました。また、病気に理解のあるパートナーがほしいと思うようになり、意識的に外に出る機会を増やしました。

結婚相手とは寛解期に知り合いましたが、早い段階で病気の説明をして、生活するうえで注意事項を抱えていることを話しました。病気が良くなってきているのならと、病気のことはあまり気にかけずに結婚を決めてくれたようですが、結婚後にも悪化の波があり、BPをするに至るなど、夫とその家族にはかなりの負担をかけているという思いがあります。体調の悪化により、仕事や将来の展望については足踏み状態です。子供については、一時的に考えるのをやめています。

夫婦の共通意識として、長い目で見て体調が悪化しない生活をすることを心がけています。現在は家で療養中のため、日々の仕事は家事がメインです。食洗機、衣類乾燥機、電気ケトル、ルンバなとの電化製品をできるだけ揃え、家事にかかる体力を極力減らし、買い物は生協やネットスーパーの宅配サービスを利用しています。お金はかかりますが、少しでも体調を崩さないこと、寝込まずに生活できることを優先しています。

友人や知人には、事故の後遺症でしんどい時があるという伝え方にとどめ、あまり病気のことは話題にしません。家族以外に「しんどい、できない」と伝えることが心理的に難しく、人付き合いが狭まります。今後は、もう少し“病気ありきの自分”で人と関わっていきたいと考えています。 治

治療歴:BP2回、生食パッチ・星状神経ブロック注射・生理食塩水点滴を不調時に適宜
服用中:イブ、バファリン、リーゼ、マイスリー
社会制度利用:障害基礎年金

30代女性・一人暮らし 突発性・治療歴6年

【診断前】
2010年の突然の頭痛が発端でした。過去に髄膜炎を経験していたのですが、その際の痛みに似ていたためすぐに大学病院で受診しました。医師との相談で髄液検査を受けたところ、髄圧が通常の半分以下だったため「低髄液圧症」と診断され、そのまま緊急入院することに。2週間ほど点滴治療を受けていましたが良くならず、何度目かの検査時に第一頸椎と第二頸椎との間に髄液漏れの所見が見つかりまして、同大学病院で頸椎ブラッドパッチを受けました。

【職場復帰】
ブラッドパッチから一ヶ月後には、派遣社員としてCADオペレータの業務をしていた職場に復帰しました。当時、頭痛は何とか生活できる程度まで落ち着きましたが、耳鳴り・頚部の強張りは残っていました。そのため、復帰後当初は時短勤務を申し入れて次のような勤務時間で身体を慣らしていきました。
一ヶ月目・・・6時間労働
二ヶ月目・・・7時間
三ヶ月目・・・8時間

その期間であっても、きつい時には空いている会議室などで身体を横にさせてもらっていました。職場の方からは、私が元気そうに見えることもあり理解が至らないお言葉をもらうこともありました(例:「もっと頑張れ!」「甘えてるだけでは?」など)。
なので、職場での心構えや工夫として次のことを気をつけました。まず、「自分にできること、できないこと」を明確にすることです。そして、症状が出てしまったときには、心苦しいながらも、絶対に身を引くという心がけです。

また、病気・症状についてどうしても理解してもらいたい場合には、『脳脊髄液減少症を知っていますか?』『怠け病と言われて』といった書籍や漫画類の一部を実際に読んで頂きました。特に漫画は読みやすいせいもあり、理解が進むようです。厳しいお言葉に対しての最終的な対応としては、励ましのお気持ちだけ受け取り、後はスルーさせて頂いています(笑)

【工夫】
身体のケア・予防方法として、次の3点に気を配っています。

まずは「水分補給」。1日に1.5~2リットルの水分を採るように意識しています。飲み物は、OS-1(経口保水液)、ルイボスティーやほうじ茶などです。(カフェインは利尿作用があるので、飲み過ぎないように成分に気をつけましょう!)。

次に、「睡眠時間」です。私は6〜8時間以内が良いようなのですが、時間だけでなく睡眠の質を高めるために、
・寝る1時間前にスプーン1杯のハチミツをなめる
・ふくらはぎのマッサージ
といったこともするようにしています。

最後に、「外出時の注意」になりますが、人が多い混雑した場所に出かける際にはヘルプマークを持参しています。リュックの真ん中といった目立つ場所に付けています。

症状の対処としては次のことを実践しています。
頭痛がある時には、とにかくすぐに横になり眠ることです。酷い痛みの場合には、近所のクリニックで点滴を受けれるように主治医に手配してもらうようにしています。そのほか、身体の痛み・強張りを感じた時には温めるために、こんにゃく湿布を貼ったり、先ほどの和みのヨーガまたは整体などで身体を動かします。

【薬について】
以前は、後述の薬物を服用してきましたが、脳髄の痛みに対して通常の鎮痛剤はあまり効果がありませんでした。むしろ身体の倦怠感が増したため、薬以外の対処法を探すようになりました。模索するなかで3年前に出逢ったのが「和みのヨーガ」というヨガで、身体と心が温まり痛みも減っていきました。結果、現在は薬をほぼ服用していません。

【現在の状態】
発症から7年目となり今ではヨガのインストラクターを始め、発症以降諦めていたダンスにも挑戦できるようになってきました。しかし「完治したのかなぁ?」と思っていた矢先の昨年末に、立ち上がれなくなるほどの頭痛に見舞われ、一ヶ月ほど仕事を休みました。

幸い再び復職できていますが、再発の不安は今も残っています…。しかし、この身体を受け入れ、わずかなサインも逃さないように気を配って生きて行こうと思っています。

治療歴:BP1回
過去の服用:ロキソニン、ボルタレン、SG、アンナカカフェイン等の鎮痛剤、デパスなどの睡眠導入剤、ロキソニンテープなど湿布薬

60代男性・妻 2度の転倒で発症 治療歴5年

6年前に登山中に転倒し、強度の逆流性食道炎を発症。7カ月後に凍結した路面で再び転倒し、首の痛みと手足の痺れで動けなくなりました。整形外科に1カ月入院した後、脳脊髄液減少症を自己申告し、脳神経科に転院。シンチ検査により診断されました。その後、患者会に相談して病院を移り、現在に至ります。

励みになるのは、Twitter、英語の勉強、写真でしょうか。Twitterは会話を楽しむのはもちろん、同病者との情報交換としても活用しています。英語は勉強すればするほど、 映画を原語で見られるようになったり、自分の能力が高まる喜びがあります。写真は、芸術的表現を試みる楽しさがあり、Facebookに投稿することで仲間ができたり、写真への反応をもらえたりすることが励みになります。病気のために離婚や自殺を考えたこともありましたが、これらの楽しみや妻の存在のおかげで、踏みとどまれました。

以前は建築家として自営しており、現在は仕事ができる体になったとアピールして営業を開始しましたが、なかなか信頼を取り戻すのは難しく、苦戦しています。収入が減ったことで妻に負担がかかり、苦しく思っています。早く仕事を軌道にのせたいです。

治療歴:BP4回、アートセレブ1回
服用中:リボトリール 、グランダキシン、グッドミン、レルパックス
社会制度利用:障害年金、個人年金

20代女性・家族と同居・交通事故で発症 診断まで5年、治療歴9ヶ

5年前に交通事故に遭い、今年1月に凍結した路面で転倒して症状が悪化しました。転倒の翌月、脳脊髄液減少症の専門医にたどりつき、3月に検査。脳脊髄液減少症と診断されました。診断の翌月に1回目のブラッドパッチ治療を行い、7月に2回目のBPを行った後、現在自宅で療養中です。

当初はどこの病院に行っても原因が分からず、精神的なものだと言われていたので、自分が弱い人間だからだと諦めていました。家族や友人からも厳しい言葉を言われたり、怠け者って思われたり、距離を置く友人もいました。自分も家族や友人に頼り過ぎたり、振り回してきたことも沢山あって、迷惑かけてきたので仕方ないですが、複雑でしたね。

病名が判明した後も、症状は軽減・悪化の繰り返しだったので、改善した日はありません。症状が軽減している時も薬、針治療、運動などで症状を抑えて我慢していました。身体的、精神的に辛い時は家から出られず、現実逃避をしていました。とことん落ち込んで症状が軽減した後は、「このまま終わりたくない」「前に進むしかない」って自分を奮い立たせてなんとかやってきました。仕事をしないと生活していけないですから。

周囲と同じように恋愛はしていました。彼氏もいましたし、結婚も考えた事もありました。精神的な薬を飲んでいることは、付き合う前に言っていましたが、いざ症状がひどい時に受け入れてくれる人は少ないです。ただ、自分も甘え過ぎた部分もありますし、相手も幸せになる為なので、責める気はありません。

今は特に症状が悪くなり、この状態を受け入れてくれる人が現れるか分からないですし、結婚出来るかも不安ですが、まだ結婚は諦めてはいません(笑)。ただ、今は体調を少しでも良くして、働ける状態にならないと厳しいですね。痛みで彼に当り散らしてしまい、お互いしんどい思いをするので。

最後に助けてくれるのは、やはり家族です。今でも色々ありますし、病気を理解してもらうのは難しいですが、治療や生活出来ているのは家族のお陰です。以前と変わらずに接してくれる友人には本当に感謝しています。それでも、ネガティブな発言をしてしまうことが多く、周囲との付き合い方に悩むことがあります。

もし症状が改善したら、どのように人生を立て直すかは現在模索中です。病気のことは、同じ境遇の人にしか理解できないと思いますが、温かく見守ってもらえたらと思います。

治療歴:BP2回、人工髄液点滴2回
服用中:なし
社会保障・福祉サービスの利用:なし
生計・仕事・在学:無職

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脳脊髄液減少症とは

2000年頃研究が始まった脳脊髄から脳脊髄液が漏出・減少する疾患です。外傷性または原因不明により発症し、主要症状は起立性頭痛ですが、その他にも全身倦怠感、めまい、吐き気、自律神経異常、免疫異常、睡眠障害など患者により様々です。
治療法は研究段階ではあるものの、診断・治療の遅れは慢性化を招きます。長期化するほど緩解率が低下するとされます。症状によっては就労が難しく、経済的に困窮し、制度のはざまで苦労される方も多数います。

発症要因

病気を取り巻く
社会環境

Wikipedia:脳脊髄液減少症とは

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READYFORのお礼

「feese」は、2015年12月4日~2016年1月27日の期間で実施いたしました。 クラウドファンディング(READYFOR様)によって、制作のための費用を集めることができました。皆さまからのご支援がなければ、「feese」をリリースすることはできませんでした。

ご支援・ご協力をいただいたみなさまに、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。また、みなさまへの感謝を込めて、クラウドファンディングを通じてご支援いただいた方々のお名前を以下に記載させていただきます。

網谷勇気、安斎賢三、生きがい、石垣好和、岩野範昭、かとうよしゆき、佐藤謙介、佐藤秀雄、白柳智美、林冬彦、樋口裕司、平山裕三、藤本海、布施透樹、松本広海、もりれいこ、みってぃん、山本早紀、りゅういち、渡部淳、hidekatsu、makie、NPO法人CRファクトリー呉哲煥、S.F、連絡がつかない方のお名前1名分未記載、他48名(敬称略)